郡上八幡ツアー2023
お待たせしました。写真整理もようやく完了。
当面こういう予定はもうない…というロス状態に陥り、自分で
作ったコンテンツも使い方忘れたりで結構時間かかっちゃいました。
ひとまずこれで記事は完成です。
—
今回のレポートは、「郡上八幡1泊ツアー2023」となります。
緑拳会「非」公式です。今夏になってから何となく思いつきで、
岐阜ご在住のワタナベ先輩(16)を訪ねたいという流れになりました。
参加者は、ヒグチ(14),イシカワ/ササキ(16),モチヅキ(18),カワハラ(25) です。
ワタナベ先輩サイドからすれば、酔った後輩が急に電話してきて
その場のノリで現地観光案内、手配要求された感じかと思います。
宿確保も難しそうという感じでしたが、その場合「ワタナベ家宿泊」も
視野に入れていました。
とんでもないことです。布団5組余ってるご家庭とか普通あるんでしょうか。
2023/08/11(金)08:30 東京駅「銀の鈴」前にて集合しました。
無事5人揃っての出発です。全員きっちりと時間前に来るんだなと、
妙に感心しながら早速新幹線ホームへと行軍開始です。
「もう移動ですか(え…乾杯しないの?)」と渋々後を追う私。
私の体重は気遣ってもらえなさそうです。
新幹線は自由席で、ごった返す人混みを乗り越えて
無事座席につきました。
何年振りの新幹線乗車か分からない私は、「のぞみ」とか「こだま」とか言われても
その違いをよく知りません。ヒグチ先輩は、時刻表とか見るのが好きらしいです。
私の小学生時代、そういう友達がいたのを思い出しました。あんな雑誌みたいに
なった時刻表を見て楽しいとか、子供心にも狂気の沙汰だと感じていました。
ジャンプより厚い表ばっかりの紙の束が、どう考えても楽しいはずありません。
クラスに一人しかいないタイプですが、こういう時に頼もしいのもまた事実でした。
お土産も事前にしっかりと用意しました。私は煎餅を提案、調達に行きました。
煎餅屋さんに行って、自分の分も合わせて5,000円分購入したので、いいお客
だったと思います。東京の煎餅屋はみんなそうらしいのですが、浅草にある
工場から(丸い)生地を買ってきて、醤油とか塗って焼いて干して…という生産
工程になるそうです。一番儲かった昭和時代に比べて、今は2割くらいみたいです。
夜逃げする店を何軒も見ながら、数十年間生き残ってきたのはすごいですが
やはり跡取りはいないみたいです。
これを機にもう少し煎餅を消費しようと思いました。
モチヅキ先輩は酒を購入してきました。
当日、ササキ先輩の足元を見たところ愕然としました。サンダル(!)です。
(かの高尾山を筆頭に)複数の日本の名峰を登頂成功してきた私から見れば、
あまりにも「山」を舐めた装備でした。
「先輩、何しにきたんですか」と思わず発しました。片手にはビール。
とにかく(高尾)山の冬の厳しさをご指導/ご鞭撻したい衝動に駆られつつ
私はお煎餅をかじりました。この時点で山に行く認識はなかったんですが…
ワタナベ先輩には、名古屋駅にて出迎えて頂きました。クルマはアルファード。
ローカル線で岐阜まで行くには、少々時間的に厳しいという理由からです。
高速に乗っても1.5時間。来て頂いてすごく助かりました。
車中では当然様々な話が弾みました。
旅館に到着後、早速昼食でした。「けいちゃん焼き」のお店です。
真夏に鉄板焼き…とは少々思いましたが、しっかり鶏肉と焼きうどんで
腹ごしらえしました。
その後はしばらく散策。気色悪いくらい大きな鯉を見たりとかしました。
川遊びに興じたり、鮎釣りをしている人々の光景も印象的でした。
因みに鮎は苔を餌とし、また、非常にナワバリ意識が強いので、「友釣り」
という手法になります。釣具屋さんで「種鮎」(囮用の鮎)が売っています。
新鮮な鮎が食べたければ、これ買って焼けばいいんじゃないの?と思いました。
この鮎釣りというのは、浅い河に入って、長い釣竿を使う姿が
印象的でした。漁の資格も必要みたいです。
河に入るので、死亡事故のニュースも全国で結構あるみたいです。
この後、旅館で入浴してから呑める店に向かいました。2階の眺めの良い
部屋で、酒と気になっていた鮎の塩焼き等を堪能しました。ししゃもレベルの
鮎が出てこないかと心配でしたが、しっかりしていました。
定食だと4,000円近かったです。
夜になっていよいよ郡上踊りの会場へと赴きました。別の日程でしたが、
夜通し踊るというのもあるみたいです。地元の若者から年寄りまでが
行列をなして、生唄/生演奏にのって街中を踊り進んでいました。
私も見様見真似で挑戦しましたが、まるっきりでした。
昔からこういうのは全然できない、という自分の属性を改めて思い出しました。
小中学校のみんなでやる鼓笛隊とかも、いつも全部出鱈目に笛を吹いて行進
していました。そもそも楽譜読めなかったし、仮に読めてもあんなに長い曲を
覚えるとか狂気の沙汰でした。
私が中学卒業までに覚えられたのは「キラキラ星」だけです。
さて、郡上踊りのマスター失敗後は、ワタナベ先輩がボトルキープしている
スナックに入りました。22時前くらいです。今思えば、よくもまあ6人全員が
座れたものです。そのくらい小さな店で、運が良かったと言えます。
先客でカウンター端にいた見知らぬ男。会長と隣り合わせてバイクの話で
ず〜っと盛り上がっていました。
職業としては、
1 飲料業界。
2 昨今、世間の風当たりの強い会社。
3 従業員でありながら、やり方に辟易している。
4 だから社名も名乗りたくない。
※1をフェイクと考えれば、話題のBモーターとか?一応確認。
で、この男がバイクの運転で日焼けした顔面で、妙にテンションが高く、
異様に目玉をギョロギョロさせながら話していました。
対する会長は、執拗に食い下がって何回も社名を聞き出そうとします。
それでも男は頑なに明かすまいと頑張ります。
この両者の(意味不明な)攻防の応酬を異様に感じ、私は怖くなり会話に
入れなくなりました。目を向けるのもやめました。間にモチヅキ先輩が
座っていることが救いでした。
翌日会長が、「どうせユキズリなのに何で社名言わないんだよ!」とぼやいて
いましたが、私も確かに同意です。同時に、「そのユキズリの男の勤務先名を
何故どうしても知りたかったのか?」とも思いましたが黙っておきました。
旅館で寝て、翌朝朝食。これも楽しみのひとつでした。お櫃のご飯も
きれいに平らげ、早速近くのお城へと向かいました。
私的には、朝食後、ゆっくり酒でも呑んでチェックアウトの10時まで
ごろごろしながら語らいつつワタナベ先輩のクルマを待つとか、
そういう発想はないものかね…とか思いつつくっついて行きました。
画像にはありませんが、関市の刃物が有名らしくイシカワ先輩の
ご希望で様々な包丁を見に行きました。
板前じゃねんだから、包丁くらい近所のダイエーとかでいいだろ
がとか内心思っていました。
薪割り用か?と思える程の立派な出刃とかあって意外に
面白かったです。私は爪切りを買いました。
名古屋駅到着後、「味噌煮込みうどん食べて東京帰りたいね〜」と会長の一声。
私的には、このくそ暑い中で(熱々の)うどん?…と思いました。
前の日も一応(焼き)うどん食べたんですが。
店内でクーラーがすごく効いていれば、それもありかとは思うんですが…
何となく食欲がないとか言ってうどん回避する感じの先輩方。
イシカワ先輩と私は、サッとカレーを食べて新幹線ホームに向かいました。
会長がマジでうどんに行ったかは訊いていません。
名古屋駅を出発したのは19時過ぎでした。
しかし、金土の2日間をこんなにフルに使うとは夢にも思って
いなかったので、楽しいひと時でありつつも、同時にかなり疲れました。
山登りは私にはつらく、1泊だからシャツ2枚でいいと思った自分の
認識のあまさを思い知らされました。
ワタナベ先輩には色々お骨折り頂き、ありがとうございました。
聞かせて頂いたビジネスプランも進展に期待です。
次回はどうするのか、ヒグチ先輩に詰め寄って行こうと思います。
早速次のプランを組んでほしいところです。
25代 カワハラ